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ⓘ 猿橋重利. 猿橋 重利 (さるはし しげとし、1956年10月24日 - )は日本中央競馬会 元騎手で現在は調教助手。北海道出身。 息子の猿橋照彦も調教助手。 ..




                                     

ⓘ 猿橋重利

猿橋 重利 (さるはし しげとし、1956年10月24日 - )は日本中央競馬会 元騎手で現在は調教助手。北海道出身。 息子の猿橋照彦も調教助手。

                                     

1. 来歴

1977年に大久保石松厩舎所属でデビュー。同期デビューには松永昌博、根本康広らがいる。

デビュー初年度は平地3勝障害5勝の計8勝と伸び悩んだものの、翌年からは20〜40勝前後をコンスタントにあげ、1980年のタマツバキ記念(春)で重賞初勝利。

1983年にはシャダイソフィアで桜花賞を勝ち八大競走初勝利。猿橋にとって生涯唯一のG1級勝利である

1997年2月28日付で騎手を引退、現在は飯田祐史厩舎所属の調教助手。

                                     

2. 主な騎乗馬

  • ヤマヒサローレル(1993年4歳牝馬特別、桜花賞4着)
  • アリアケキング(1980年タマツバキ記念(春))
  • ライフタテヤマ(1985年シンザン記念、1986年札幌記念、ウインターステークス)
  • アリーナオー(1982年京都記念(春))
  • オオシマスズラン(1981年京都4歳特別)
  • フリートホープ(1986年日経新春杯、天皇賞(春)3着)
  • エリモローラ(1983年京都記念(秋)、京阪杯、1984年日経新春杯)
  • シャダイソフィア(1983年桜花賞、1982年函館3歳ステークス、1983年サファイヤステークス)
  • ダイゼンシルバー(1984年神戸新聞杯)
  • ダイイチオイシ(1989年函館3歳ステークス)
  • グレートモンテ(1989年愛知杯、1990年札幌記念)
                                     
  • グレートモンテは日本の競走馬 おもな勝ち鞍は愛知杯 札幌記念 主戦騎手は 猿橋重利 現 調教助手 1987年12月阪神競馬場でデビュー 初勝利後に挑んだ重賞戦線では結果を出せなかったが 自己条件から再発進しオープン特別を含む3連勝を記録する この後 管骨骨折により1年以上戦列から離れるも 198
  • 猿橋重利 は 外見は美しいと感じたものの非力な印象を受け 調教後に 大した馬じゃないですね と渡辺に言ったところ どこを見てるんだ と厳しく叱られたという 同年8月7日 函館競馬場の新馬戦 芝1200メートル でデビュー 猿橋 を鞍上に 2着に10馬身差をつけ 従来のレコードを0
  • たけし 1953年9月14日 - は日本中央競馬会 JRA 元騎手で現在は調教助手 北海道出身 1977年に尾形藤吉厩舎所属騎手としてデビュー 同期には 猿橋重利 松永昌博 根本康広らがいる 1982年の東京障害特別 秋 で重賞初勝利 1988年にJRA賞最多勝利障害騎手となった
  • ライフタテヤマは日本の競走馬 種牡馬 1986年の優駿賞最優秀ダートホースである ダートでは 6戦して全勝 主戦騎手は 猿橋重利 馬齢は当時の表記 数え年 で統一する 中央競馬で競走生活を送る 1984年9月 阪神競馬場の新馬戦でデビュー 初戦こそ勝ち馬から大きく離された2着に終わるが ダート1
  • 中学卒業後は3年間板前として修行し 18歳の頃からは中山 吉野勇厩舎で修行を積み 1977年に騎手免許を取得 同期には根本康広 猿橋重利 らがいる 3月5日の中山第4競走4歳未勝利 スタービートで初騎乗初勝利を挙げ 最優秀新人賞を受賞 3年目の1979年には北海道3歳ステークスをカツ
  • 1枠1番 マックスビューティ 田原成貴 1枠2番 ルーベナイト 河内洋 2枠3番 ベルロビン 安田富男 2枠4番 ワンダーレジスト  猿橋重利 3枠5番 コシキワールド 清水英次 3枠6番 トウホーロイヤル 的場均 4枠7番 ナカミジュリアン 郷原洋行 4枠8番 ウインホイッスル 柴田政人
  • 種牡馬リイフォーがアメリカ合衆国へ輸出された 桜花賞 阪神競馬場 4月10日 優勝 : シャダイソフィア 騎手 : 猿橋重利 皐月賞 中山競馬場 4月17日 優勝 : ミスターシービー 騎手 : 吉永正人 天皇賞 春 京都競馬場 4月29日 優勝 : アンバーシャダイ 騎手 :
  • 松田幸春 1970年 - 1972年 騎手 大久保光康 1970年 - 1972年 騎手 池添兼雄 1974年 騎手 沖芳夫 1977年 - 1986年 調教助手 猿橋重利 1977年 - 1984年 1990年 - 1991年 騎手 地方競馬の前身的な存在で 祭典の一環として行われていた競馬 大久保福松の息子
  • 事情から繋駕免許を持たない隆の成績は初年度をピークに緩やかに下降 勝利数が2桁を割り込むころ中央競馬から繋駕競走は姿を消したが その当時石松の元に 猿橋重利 が入門し目覚しい活躍を遂げたことから 隆はその存在感をさらに薄めることとなる また 成績が下降線を辿るさなかにも重賞勝利を記録するなど少ないなりに
  • の馬主の馬には乗るもんか とその時は決めたぐらい腹が立った と述懐している ダービーの後は夏を休養に充て 9月に神戸新聞杯で復帰 騎手は本田から 猿橋重利 に替わった レースでは終始3番手を保ったものの勝ったマックスビューティと逃げたヒデリュウオーを捕らえ切れず3着に終わった 続く京都新聞杯 菊花賞ト