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海軍史 (雑誌)

海軍史 (Naval History)はアメリカ海軍協会(w:United States Naval Institute)が1987年より発行している雑誌。隔月刊。

                                               

ガレー船

ガレー船 (ガレーせん、英語: galley, ポルトガル語: galé )は、主として人力で櫂(かい、オール)を漕いで進む軍艦。古代に出現し、地形が複雑で風向きの安定しない地中海やバルト海では19世紀初頭まで使用された。正確には ガレー であり、この語だけで船であることも意味しているが、この語が一般的でない日本では「船」を付して呼ばれることが多い。

                                               

ガレー船時代の海戦戦術

ガレー船時代の海戦戦術 (ガレーせんじだいのかいせんせんじゅつ、英:naval tactics in the age of galleys)は、古代からガレー船が帆船に置き換わった時期1600年代初期までの間の海戦の戦術である。

                                               

亀甲船

亀甲船 (きっこうせん、きこうせん、朝鮮語: 거북선 )または 亀船 (きせん、朝鮮語: 귀선 、龜船、キソン)は、李氏朝鮮時代に存在したとされる朝鮮水軍の軍艦の一種。

                                               

臼砲艦

臼砲艦 (きゅうほうかん)は、長砲やカロネードなどのカノンではなく艦首に装備した臼砲を主兵装とする木造帆走軍艦のことである。英語では bomb ketch や bomb ship 、あるいは両者を総称して bomb vessel 、または単に bomb などと呼ばれた。日本語では ボムケッチ 、 爆弾ケッチ などとも称される。この艦種は沿岸の固定目標への砲撃 に特化した設計だったので、これらの呼称が生まれた。 近代以降、臼砲艦がこなしていた任務はモニターのような専門艦種だけではなく、戦艦をはじめとする多目的の水上戦闘艦も行うようになった。

                                               

五段櫂船

五段櫂船 (ラテン語: quinqueremis ; ギリシア語: πεντήρης, pentērēs )は、古代のガレー船の一種で、カルタゴ海軍とローマ海軍で広く使われた。実際に櫂が五段になっている訳ではなく、3本の櫂を5人(上段2人、中段2人、下段1人)で漕ぐ形になる。

                                               

産業化以前の装甲艦

装甲艦 とは厚い金属板により装甲がほどこされた木製の、または鉄骨に木板張りなど数種の材料で作られた軍艦である。1854年にフランスにおいて世界初の航洋装甲艦ラ・グロワールが建造される以前から、ヨーロッパにおいては船を建造する際衝角として利用するために金属製の船骨を用いており、また金属板張りの軍船についての記述も存在する。それらのなかには艦砲が装備されているものもあった。東アジア においては16世紀から艦砲を持ち金属の装甲が施された軍船についての記録がある。 しかしながら同時代の資料が不十分であることもあり、ヨーロッパと極東のどちらの例においても本当に鉄の装甲を持つ船が存在したかについては不明瞭で、 ...

                                               

三段櫂船

三段櫂船 (さんだんかいせん)は、紀元前5世紀頃から地中海で使用された軍船である。 三橈漕船 (さんどうそうせん)、 トライリーム ともいう。フェニキア人の国家や古代ギリシアで用いられた。三段櫂船に限らずこの種の軍船は外洋の航行には適さず乗員の寝場所もないため、一般に沿岸を航行し、夜間は海浜に引き揚げて乗員は陸上で炊事をし休息した。 その名称の通り、櫂の漕ぎ手60名 - 170名を上下3段に配置して高い速力を得た(アテナイのそれの船員は漕手170人、補欠漕手・水夫・戦闘員30人の200人、攻撃時の最高速力およそ10ノット)。帆を備え、風力でも移動できるが地中海では風はあてに出来なかった。この種の軍船は船底最前部に青 ...

                                               

重巡洋艦

重巡洋艦 (じゅうじゅんようかん、英:Heavy Cruiser)とは、軍艦の一艦種である巡洋艦のなかで大型のものをいう。1930年のロンドン海軍軍縮条約で定義された艦種で、条約においては6.1インチを超え8インチ以下の艦砲を搭載する10.000トン以下の「カテゴリーA」の巡洋艦を指した。条約失効後は、10.000トンを超える艦も建造されている。 重巡 と略す。また当時は大巡、甲巡とも呼ばれた。

                                               

ジュネーブ海軍軍縮会議

ジュネーヴ海軍軍縮会議 (ジュネーヴかいぐんぐんしゅくかいぎ、Geneva Naval Conference)は、1927年6月20日から8月4日にかけてスイスのジュネーヴで開かれた、補助艦の制限に関する国際軍縮会議である。

                                               

衝角

衝角 (しょうかく)は、軍船の船首水線下に取り付けられる体当たり攻撃用の固定武装である。 英語では ram と呼ばれる。

                                               

条約型戦艦

条約型戦艦 (じょうやくがたせんかん)とは、1920年代から1930年代に締結されていた海軍軍縮条約で設けられた各種制限を満たすべく建造された戦艦をいう。条約期間中は海軍休日(ネイバル・ホリデイ)と呼ばれ、様々な実験艦的な技術も盛り込まれたが、ほとんど戦線に影響を与えることなく消え去り、大戦の終結とともにその役割を終えた。

                                               

水雷巡洋艦

水雷巡洋艦 (すいらいじゅんようかん、英語: Torpedo cruiser )は、水雷兵器(特に魚雷)を主兵装とする巡洋艦。小型のものは水雷砲艦と称されており、排水量でいえば、水雷巡洋艦はおおむね1.000トン前後、水雷砲艦は500トン前後であったが、厳密な区別ではなかった。1880年代後半からは、味方の主力艦を護衛して水雷艇を撃退することも重視されるようになり、水雷巡洋艦よりは水雷砲艦が主流になっていった。最終的には、外洋域の水雷襲撃や水雷艇駆逐といった任務は、水雷艇を発展させた駆逐艦によって行われるようになった。

                                               

水雷砲艦

水雷砲艦 (すいらいほうかん、英語: Torpedo gunboat )は、水雷兵器(特に魚雷)を主兵装とする砲艦。当初は、外洋での水雷襲撃を担う水雷巡洋艦の小型版と位置付けられており、排水量でいえば、水雷巡洋艦はおおむね1.000トン前後、水雷砲艦は500トン前後であったが、厳密な区別ではなかった。1880年代後半からは、味方の主力艦を護衛して水雷艇を撃退することも重視されるようになったが、最終的には、水雷艇を発展させた駆逐艦に取って代わられた。

                                               

装甲巡洋艦

装甲巡洋艦 (そうこうじゅんようかん)とは、巡洋艦の一種。それまでの防護巡洋艦と比し、水線部舷側を防御する装甲帯と装甲板で覆われていることで区別される。1890年から1910年ごろまで建造された。

                                               

タラソクラシー

タラソクラシー (古代ギリシア語: θάλασσα 海 + κρατεῖν 支配 / 力→ コイネー: θαλασσοκρατία, ラテン文字表記:thalassokratia、英語:thalassocracy / thalattocracy)は、主として海洋領域を有する国家、および海上帝国を指す。伝統的なタラソクラシーは、自国の領土でさえその内陸部を支配することはほとんどなかった。その歴史的事例は、地中海のティルスやサイダ、 古代カルタゴ などのフェニキア人の国家、海域東南アジアのシュリーヴィジャヤ王国やマジャパヒト王国といったオーストロネシア人の国家などである。この旧来のタラソクラシーの意味は、国家の領土が(主に、あるいは単独で海上交通路により結ばれている可能性はあるが ...

                                               

鉄甲船

鉄甲船 (てっこうせん)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて大型の安宅船に鉄板を張った船。主に織田信長と、豊臣秀吉が建造を命じた鉄甲船が知られる。

                                               

日本の海軍史

日本海軍の歴史は中世初期のアジア大陸との関わりまでさかのぼる。その活動は16世紀から17世紀にかけての南蛮貿易によるヨーロッパ諸国との貿易で頂点に達する。江戸時代の鎖国によってその技術は西洋に比べて見劣りするようになった。1853年における黒船来襲の時その差は決定的となり、その後の明治維新に繋がる。明治維新により国民国家となった日本は、1870年頃から海軍力の整備を開始した。 帝国海軍の大規模戦役の歴史は、1895年明治28年の日清戦争に始り、1905年(明治38年)の日露戦争では、日本海において多くのロシア海軍艦艇を撃沈するなどの戦果を挙げた。 近代化と工業化を急いだ結果、1920年(大正9年)には帝国海軍の戦力は、 ...

                                               

帆船時代の海戦戦術

帆船時代の海戦戦術 (はんせんじだいのかいせんせんじゅつ、英: Naval tactics in the Age of Sail )とは、オールで漕ぐガレー船が帆船に置き換わった1600年代初期から、汽走式の甲鉄艦が帆走式の戦列艦を時代遅れにした1860年代までの間にヨーロッパで発達した海戦の戦術である。

                                               

非防護巡洋艦

非防護巡洋艦 (ひぼうごじゅんようかん;英語: Unprotected cruiser )は、19世紀末から20世紀初頭にかけて存在した巡洋艦の形式。

                                               

防護巡洋艦

防護巡洋艦 (ぼうごじゅんようかん;英語: Protected cruiser )は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて存在した巡洋艦の形式である。装甲艦や戦艦、装甲巡洋艦が舷側に鋼鉄の装甲を張って防御としていたのに対し、主機室の上の甲板を装甲し(これを防護甲板という)、舷側には装甲を持たない比較的軽防御の巡洋艦をいう。 チリ海軍がイギリスのアームストロング造船所に発注した巡洋艦「エスメラルダ」(1884年竣工)が世界最初の防護巡洋艦といわれる(同艦は1895年に日本海軍が購入し、二等巡洋艦「和泉」となった)。大型の装甲巡洋艦 1 隻の費用で小型高速の防護巡洋艦 3 隻が建造できるとされ、各国が競って装備した。しかし、実戦にお ...

                                               

ロンドン海軍軍縮会議

ロンドン海軍軍縮会議 (ロンドンかいぐんぐんしゅくかいぎ)は、1930年に開催された列強海軍の補助艦保有量の制限を主な目的とした国際会議。イギリス首相ラムゼイ・マクドナルドの提唱により、イギリスのロンドンで開かれた。開催期日は1月21日から4月22日。 当初、イギリス、日本、アメリカ、フランス、イタリアの第一次世界大戦の戦勝国である五大国、かつ五大海軍国により会議がもたれたが、フランスおよびイタリアは潜水艦の保有量制限などに反発し、結局部分的な参加にとどまった。

                                               

第二次ロンドン海軍軍縮会議

第二次ロンドン海軍軍縮会議 (だいにじロンドンかいぐんぐんしゅくかいぎ)は、1935年12月9日にイギリスのロンドンで開かれた国際会議。

                                               

ワシントン会議 (1922年)

ワシントン会議 (ワシントンかいぎ、1921年11月12日 - 1922年2月6日)は、第一次世界大戦後にアメリカ合衆国大統領ウォレン・ハーディングの提唱でワシントンD.C.で開かれた国際軍縮会議。国際連盟の賛助を得ずに実施され、太平洋と東アジアに権益がある日本・イギリス・アメリカ・フランス・イタリア・中華民国・オランダ・ベルギー・ポルトガルの計9カ国が参加、ソビエト連邦は会議に招かれなかった。アメリカ合衆国が主催した初の国際会議であり、また史上初の軍縮会議となった。 このワシントン会議を中心に形成されたアジア太平洋地域の戦後秩序をワシントン体制と呼ぶ。

                                               

ワシントン海軍軍縮条約

ワシントン海軍軍縮条約 (ワシントンかいぐんぐんしゅくじょうやく)は、1921年(大正10年)11月11日から1922年(大正11年)2月6日までアメリカ合衆国のワシントンD.C.で開催されたワシントン会議のうち、海軍の軍縮問題についての討議の上で採択された条約。 アメリカ(米)、イギリス(英)、日本(日)、フランス(仏)、イタリア(伊)の戦艦・航空母艦(空母)等の保有の制限が取り決められた。 華府条約 (ワシントン条約)とも表記される。